手放すんじゃなくて見守る
遠いむかしのことなので
幼稚園の頃だったのか
小学校の頃だったのか
記憶が曖昧だけれど、
家族より大きな集団の中で
過ごすようになってからか。
モノゴトを決める時に
多数決という方法をとることを学び、
気づいたらいつのまにか
多い=正解 という認識が
わたしの中でできあがっていて、
大人になっても
その認識は変わらないまま
ずっと多数派の意見を正解としてた。
迷った時なんかはとくに
間違いたくなくて
多数派に流れたりして。
そうやって疑うこともせずに
世の中の基準に合わせて
「ダメなもの」のカテゴリに入れていた
ネガティブという感情が、
ダメなものなんかじゃなくて
自分を守るためのものだったと気づいたときは、
「おっしゃーーーー!」と
拳を空高く突き上げたなぁ。
ネガティブな感情をよくみて
わかったことは、
ひとつの通過点だったということ。
今、自分にはネガティブな感情が
必要だったというだけのこと。
そもそも
感情にいいも悪いもないし、
ネガティブであっても
ポジティブであっても
考え方のクセだったり
ただの反応だったりするだけだから。
だからね、手放すのは
「今の自分に必要のないもの」であって
必ずしもそれが「ネガティブ」とは限らない。よ。
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