価値を何かとくっつけない
いつからわたしは
何かと価値をくっつけるように
なったんだろう?
お金があるほうが価値がある
痩せてるほうが価値がある
若いほうが価値がある
新しいほうが価値がある
こういうのを信じて
握りしめていたら
そりゃあ苦しいわ。
お金がない
痩せてない
若くない
新しくないと思った瞬間から
自分に価値がなくなって、
そこからの人生が
価値を手に入れるための
克服ゲームになってしまうから。
そして
それは一生つづく。
わたしは
お金に関しては。
ゆるやかではない波の上下に
漂いながら生きてきました。
ざっくり かいつまむと、
1才から母子家庭で団地住まい。
16才で家出してからは、
夜のお店でバイトしながら
その日暮らしのような
自堕落な日々。
日本がバブル期だった頃、
夜のお店で知り合った
宝石商を営む人と18才で結婚して
お金に不自由しない生活に。
大阪市内の高級住宅街と呼ばれるところで
土地つきの新築一戸建て。
車はベンツ。旦那はジャガー。
ゴルフや英会話、スポーツジムに通い
夏は避暑地の別荘で、冬は温泉旅行三昧。
ファーストクラスで海外旅行。
世間一般で言うところの
玉の輿とか勝ち組とか呼ばれてた。
バブルがはじけた頃、
27才くらいで離婚。
慰謝料も養育費もなし。
また市営団地暮らし。
振り出しに戻る。
いまの主人と再婚して
2年後ぐらいに
家賃20万のマンションに引っ越し。
その半年後ぐらいに
土地付きの一戸建て注文建築を建てて
何不自由ない生活を。
そんな生活に
翳りが出てきたのが13年ほど前。
旦那の事業がうまくいかなくなって
生活費がピーク時の約2/3に。
この時、
脳内でパニックを起こす(笑)
落ち着いてみれば、
毎月ちゃんとお金もらってるし、
住む家もちゃんとあるし、車もある。
好きなことできるし、旅行にも行ける。
2人の娘たちは
私立のエスカレーター式中学校を経て
どっちも私立大学に入学した。
ただ、わたしに入ってくるお金が
これまでの2/3になっただけ。
それなのに
めちゃくちゃ怖かった。
パニックを起こすほど怖かった。
怖すぎて怖すぎて
その怖さを直視できなくて、
何も感じないように
心にフタをしてました。
わたしはこの怖さを
ずっとずっとずーっと
十何年も勘違いしたんです。
お金がなくなることが怖いことだと
思い込んでいたんです。
だけど、
物心ついた頃から
うちは母子家庭で裕福ではなかったし、
16才で家出した時も
その日暮らし同然の生活してたし、
離婚した時も
昼は作業着みたいな格好して
いまの旦那の内装業の手伝いしながら、
夜は鉄板焼きのお店をして
どうにかこうにか食べていってた。
こうして
あの頃のことを思い返してみても、
お金がないことを怖いって思ったこと
一度もないんです。
もちろん
お金はあるほうがいいけど、
ないから怖いかというと、怖くない。
じゃあ なにが
パニックを起こすほど怖かったのかって
自分の存在価値を脅かされたからだった。
わたしがいつからか、
お金と価値をくっつけてたから。
「存在価値」なんていう言葉、
この年になるまで使ったことなかったし、
知ろうともしなかったから
真剣に考えたこともなくて、
どちらかと言うと
わたしには無縁の言葉だと思ってた。
だがしかし(←この接続詞、的確か?)
自分の存在価値は生きていくのに
これほど大事なことはないっていうぐらい
大事なことだというのを
さきこさんが教えてくれました。
わたしの怖さの正体を
さきこさんが気づかせてくれた時から
わたしの中から怖さがスーッと消えた。
この3ヶ月、
さきこさんがずっとずっと
何度も何度も伝えてくれていた
とてもとても大事なこと。
ここをすっ飛ばしていると
どんな経験も どんな学びも
苦行にしかならないし、
ここをすっ飛ばしたまんま
しあわせであることは不可能だと
価値あるわたしは思う。
それをここで
少しずつ書ければいいかな☺︎
いますぐ勝手にしあわせに
なれるわけがない。
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