手を伸ばせば届く価値ある富の塊

昨日、9月13日は
次女の23回目の誕生日。



わたしたちが生まれてきたのは、
わたしという「個」を感じるため。
だとするなら、
わたしの人生において
こんなに「個」を
感じさせてくれる経験は
ほかにはなかったんじゃないかなと思う。

そして、だから、やっぱり、
これがわたしの課題だったのかもしれないと
振り返ってみた今、そう思えるようになった。



10ヶ月近く
わたしのおなかの中にいて、
ひっくり返ったり戻ったり
またひっくり返ったりして
帝王切開で生まれてきて

首がすわって
寝返りをうてるようになり
よく笑うようになったら
ハイハイするようになって
つかまり立ちができたと思ったら
歩くようになった。

ちょうど三女を妊娠中の
1才の終わり頃にはしかに罹って
2週間ずっと高熱が下がらず、
水分の補給と点滴だけを繰り返し
苦しくてベッドで寝ることもできずに
24時間、わたしの母と交代で
抱きっぱなし あやしっぱなしの
生活をしたこともあった。


2才の春には、
インフルエンザに罹って
複雑性熱性痙攣を起こし、
意識が戻らず1ヶ月近く入院生活が続いた。
退院の許可が出た時は、
体力がなかったのか
平衡感覚が鈍っていたのか
筋肉量が少なくなっていたのか、
生まれたての子鹿のように
ひょろひょろヨタヨタふらふらで
何回歩いても斜めにしか歩けなくて、
それでも歩けることが
よほどうれしかったのか
ニコニコ笑いながら
小児病棟のプレイルームを
斜めに斜めに歩いていた。

家に帰ったその日、
高熱が続いて口の中が口内炎だらけで
ごはんを食べることができなかった反動で、
食べても食べても満足せずに
おなかを壊すんじゃないかと心配するほど
おにぎりをむさぼるように食べてた。


マッサージチェアから降りた弾みで
テレビボードの角に眉間をぶつけて
血まみれになった顔をタオルで押さえながら
救急病院を受診したのも2才の終わり頃。
家電量販店で照明器具を触って火傷したり、
大型スーパーマーケットで迷子になったりもした。

3才の頃は、
朝起きてからから日が暮れるまで
毎日公園で遊んでいたし、
4才になってから
幼稚園に通いはじめて
大好きなスイミングスクールでは
選手コースまで進級した。


たったの4年、
ざっとこれだけの経験。
どれだけ魂の喜びを感じさせてくれたか(笑)
これが23年間分。次女だけで。
かける4人分。


子育て中は、
かけがえのない経験だなんて思えなかったし、
そんな余裕もなかった。

4人の子どもたちみんなが
20才を過ぎた今、
やっと振り返ることができて
すべてがかけがえのない経験だったんだと
気づくことができた。


ひょっとすると
これがわたしの人生の
課題なのかもしれない。

そう思ったのは、
ここでは書かないけれど
これまでの人生で経験してきた
いくつかの同じようなことと
カチッと繋がったから。

目の前のことだけをするって
このことだったの?

何者にもならなくていいし
どこも目指さなくていいって 、
耳触りがよくて気持ちも緩むから
それでいいんだと思い込もうとしてきたけれど

そう思うほうが楽だからとか、
チャレンジしないことの言い訳だとか、
何かから逃げる口実に使うんじゃなくて
目の前にあるそれをやるんだよ。
やることはそれだよ。ということだと、
やっとわかったような気がする。

そう思うと、
さみしい感じもしたけど 肩の力が抜けて
やっと自分を認めてあげられるようになって
労ってあげられるようになって
褒めてあげられるようになった。


わたしはこれまで、
子どもを生んで育てるということは
がんばれば誰にでも当たり前にできることだと
当たり前のように思っていた。

子どもを生んで育てるということに
大きな価値を感じたり 
重き置いたりしたことがないから、
自分がすごいことをしてるだなんて
一度も思ったことがない。

それはわたしがすごいという意味ではないし、
子どもを生んで育てるのがカンタンで
楽ちんなことだという意味でもなくて、
当たり前にすることだと思っていたということ。

そしてそれは、
わたしには特筆すべきものが
何もないということとおなじ意味を持っていた。

何もないと思っていたから
特筆できる何かを探してた。

こんなに価値ある
富の塊の子どもたちを生み育ててきた
わたしにしかできない経験があるのに。


朝起きてからずっと
化粧もせずに 髪ひっつめて
スウェット上下で
哺乳瓶洗って 消毒して 保管して
おむつ替えて おしり拭いて
吐いたミルクを拭いたら 服を着替えさせて
ゲップさせて 抱っこしながら食事して
昼寝の合間に洗濯機回して
上の子のお弁当作って
おんぶしながら掃除機かけて…

365日続く
このことが不幸なんじゃなくて、
かけがえのないことだと思えなかったことが
不幸だった。


価値や重きを置くのは
成し遂げたことじゃなくて、
かけがえのない経験そのもののほう。
経験して感じたことすべて。

そう気づくことができてはじめて
これまで苦労や我慢や不自由や
大変だと思ってきたことすべてが
あっというまに感謝に変わる。



「生まれてきてくれてありがとう」




























































世界は逆さまに見えていた

目の前にある現実の世界の内側と外側が逆さまに見えているんだとしたら、今、目の前にある現実の世界の内側と外側を入れ替えた本当の世界、見てみたくないですか。世界の仕組みとそれを知って自分の理想の世界を創造するためにわたしが学んできたことの忘備録。

0コメント

  • 1000 / 1000