体感覚が教えてくれるもの
昨日のブログで触れた、
もうひとつの気づきを
今日は書いてみます。
起きた出来事を
どんなふうに受け取るのかは
自分が選んでいるということ。
その時、フォーカスするのは
「自分が何を受け取りたいのか」ということと、
「何を受け取りたいと思う自分」でありたいのか
ということ。
そのために
わたしが指針にしているのは
体感覚だということ。
この体感覚をわたしは
本当の自分からのサインとしている。
ここまでが昨日、
ブログで書いたことです。
人の過去の記憶のほとんどは
捏造され編集され書き換えられていると
言われています。
そんな曖昧な過去の記憶と
環境や習慣なんかが
ひとつずつ積み重なって
夫とは◯◯だ。
妻とは◯◯だ。
愛するとは◯◯だ。
お金とは◯◯だ。というものが
出来あがります。
これ、ぜんぶ思い込みです。
そしてこの
「◯◯は◯◯だ」が定着すると、
どんな出来事も どんなものごとも
この思い込みに当てはめて考えるから、
それが自分の声だと勘違いしてしまう。
自分の本当の声を消してしまう。
こんなことがわたしの中で
繰り返されているんです。
あの時感じた胸のざわつきは、
愛するとは◯◯だ。
大切にするとは◯◯だ。
夫とは◯◯だ。という
思い込みがあるために、
そこにある愛や思いやりに気づけない
自分に対して抱いた
寂しさのようなものだった。
望むような形の愛ではないけれど
確かにそこに愛はあるんだと
体感覚に教えられたんです。
自分でも心の奥底で
薄っすらと知っているはずなんです。
愛や思いやりがあることを。
それなのに
思い込みの方を自分の気持ちだと思って
ぜんぶそれに当てはめて、
反発する。拒否する。否定する。
それが胸のざわつきとして
わたしの中にあらわれた。
そんなふうに
わたしは解釈しています。
今ある思い込みが
世界を歪めてしまうなら、
力技で変えようとするよりも
その思い込み、自分の好きなように
捏造して編集して書き換える方が
かんたんですね。
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