二元論だけでは調和は不可能


下の娘たち2人が
まだ自分で食べるものを
選べないくらい幼かった頃。

家族の健康のために食について学びはじめ、
ローフードマイスターの資格を取って
講師として活動していた経験があります。

食べるもののほとんどが
火を通さない生の状態のもので、
果物と野菜が95%ぐらいという
偏った食生活なのですが、
それまで聞いたこともなかった
最新の栄養学を学ぶことは本当に楽しかったし、
体質も改善され 体調もよくなっていきました。

そうなると、どんどん
ローフードを盲信するんです。

自分が学んだことが正解で
それ以外はぜんぶダメ。
加工品とか人工的なものは悪いモノ。
肉なんて食べたら病気になる。
ファーストフードとか
ファミリーレストランとか
コンビニは悪だ。と、
自分の正義がすべてのようになっていました。


でもね、その頃は
まったく気づいてなかったんです。

何かを絶対的な正義にすると
必然的に悪を作ることになるということを。
自分が悪を作っているということを。


わたしたちが生きている
この物質世界は
二元論でできているから、
善を作れば、悪ができる。
正しさを主張すれば、まちがいが作られる。
意図していなかったとしても
そうなっているんです。

ここから抜けるには、
自分はどう在りたいのかを知るだけ。
すごくシンプルでかんたん。

わたしは悪を生み出したいのか?
自分で悪を作っておきながら
それを否定し攻撃たいのか?

そうじゃない。
そんなことをしても心は満たされない。
わたしは子どもたちの笑顔が見たいだけ。
みんなで笑っていたいだけ。

だったら
二元論だけじゃなくて
一元論の視点があるということを知る。

それが、
「調和」であろうとすることで、
しあわせに生きる指針になるものなんだと
今のわたしなら、わかります。


そして、もうひとつ。
見ていないものがありました。

わたしがしていることは
子どもたちへの愛だと思っていたけれど、
それは自分が見ることができる範囲の中だけの愛で
自分に都合のいいことだけを愛とする
とても狭くて小さいものだったということ。

ファーストフードや
ファミリーレストランやコンビニが
愛から生まれているという視点は
まったく持てていなかった。


ゆっくりごはんを食べる時間がない人。
みんなで楽しく外食したい人。
深夜遅くまで仕事をしてる人。
ごはんを作ることができない状態や環境にある人。
そんな人たちへの愛でファーストフードや
ファミリーレストランやコンビニが
生まれたということ。

自分が見たもので世界は創られる。
何を見るかは自分で決められる。
そのことがわかっただけで
世界は大きく変わりました。


二元論が悪いと言いたいんじゃなくて、
無限にも感じるほど大きな宇宙においては
自分に見える範囲の中だけの調和は
本当の意味での調和とは言わない。

二元論の視点だけでは調和は不可能なんだ。





世界は逆さまに見えていた

目の前にある現実の世界の内側と外側が逆さまに見えているんだとしたら、今、目の前にある現実の世界の内側と外側を入れ替えた本当の世界、見てみたくないですか。世界の仕組みとそれを知って自分の理想の世界を創造するためにわたしが学んできたことの忘備録。

0コメント

  • 1000 / 1000