もうひとつの視点
5年くらい前まで
わたしは飛行機が本当に苦手でした。
上空で機体が大きく旋回する時に
窓から見える傾いた空。
あの傾き具合に
どうしても慣れなくて
飛行機に乗るたびに
心臓はバクバク。手は汗びっしょり。
少しぐらい時間がかかっても
安心できる方がよくて
ずっと新幹線を選んでいたんです。
それが、
とくに何があったわけでもないのに
窓から見える傾いた空が
苦手ではなくなっていて
自分でもとても不思議な感じがしています。
わたしの中の何が変わったんだろうけど、
これもそのうちわかるかな。
こうして飛行機の窓から
どんどん小さくなっていく
町や建物や道路なんかを
ボーッと眺めていると
人間がどれだけ小さいのかを
強制的に俯瞰させられる(笑
地上にいると
まるで自分と自分の周りだけで
世界ができているように感じるからなのか、
起こる出来事に一喜一憂して
大騒ぎしてるんだけれど、
それもぜんぶ遊びなんだというのが
感覚で理解できるような。
高いところに身を置くといいって
言われているのは、
こういうことなのかなと思います。
砂より塵より
もっと小さい粒のわたしたち。
そんな人間の悩みなんて
ほんとにちっぽけなものだって
ドラマのセリフにもよくあるけれど
以前のわたしは、
わたしにとっては
大ごとで大騒ぎするようなこと。
全然、ちっぽけなんかじゃないし。
それに一喜一憂して、よりよくなるために
がんばるのが生きるということでしょ。
そりゃあ 俯瞰して見たら
人間の存在なんて塵より小さいけれど、
小さいから悩みもちっぽけだと言うのは
違うでしょ。なんて思っていたんだけれど、
そもそもの解釈が違ってました。
無限にも感じる壮大な宇宙の中にある
地球という星に住む塵よりも小さなわたしたち。
そんな塵よりも小さなわたしが
何をコントロールしようとしてるの?
コントロールできると思ってるの?
そうじゃないよ。もうひとつの視点があるよ。
そういうことを伝えてくれていたんだと
思えるようになってきました。
大ごとにどっぷり飲み込まれて
必死でもがいていたその頃のわたしと、
大ごとに飲み込まれているわたしは
こうして楽しんでいるんだなぁと
見られるようになった今のわたしの違いは、
「視点」だけ。
わたしは今、苦しんでいるんだな。
わたしは今、寂しいんだな。
わたしは今、こういう状態なんだな。っていう
もうひとつの高くて広い視点。
そうすると
自分が人生を楽しんでいるのが
感覚的にわかる。
それだけでいい。
苦しみをなくすことや
寂しさをなくすことを
がんばらなくていい。
気づけば
あとはうまくいくようになっているんだから。
0コメント