時差はベストなタイミング

1本数百円のトウモロコシから感じる
しあわせの意味が、
去年のわたしと、今のわたしでは
大きく違っていることに気づいて
びっくりした朝。


去年のわたしも
知ってはいたんです、頭では。

わたしには◯◯がない。◯◯もない。
もう少し◯◯があればもっとしあわせなのにって、
毎日、足りないものを探して生きるのと、
今、目の前にあるものを見て生きるのとでは、
見える世界も感じるものも
まったく違うということ。

だからと言って、
本当に心底しあわせだと思えないのに
しあわせのハードルを下げて、
何でもかんでも手当たり次第
しあわせにするのは違うということも。

もっと言うと、
しあわせは状態や状況に
左右されるもんじゃないということも。


知っていたはずなのに、
1本数百円のとうもろこしを
農家さんの愛が形になったもの
携わるすべての人の想いがつまった愛のかたまり
大地、天、宇宙からの奇跡の恵み
買えるお金があることに感謝
食べられる環境にあることに感謝
っていうふうに、
きらきら輝くセロハンに包んで
リボンをかけてラッピングして
「はいどうぞ。しあわせですよ。」って
していたんです。無意識に。無意識、怖いです。


心底、本当にそう思えるなら
それはとても豊かで美しく
素晴らしいことなんだろうけど、
わたしは心底そうは思えないから
「そう思わなきゃいけない」
「そう思えないわたしは失格」って
自分に厳しくしてた。

そしてあろうことか、
こんなふうに客観的に自分を見れて
自分に厳しくできるわたしってすごい!って
よくわからないことをしてたんです。

いや、もう、何? 
一旦、否定しといて、その後で褒めるとか
何がしたいの? 何のプレイ? 


そんなふうに
自分のことをダメだと思ったまま
目の前にあるものに目を向けたり、
今あるしあわせに気づく努力をしても、
それってぜんぶ的外れな努力だから
自分が苦しくなるだけなんです。
やればやるほど自分のダメさを
強固することになるから。


わたしが努力するのは、
「そう思わないといけない」
「そう思えないわたしはダメだ」としてる
わたし自身の気持ちをなくすことで、
目の前にあるものや、
しあわせを感じる気持ちを
神格化することじゃなかったんだって、
今さらだけど、わかったんです。


目の前にあるものやしあわせに
心底感謝できないわたしでいい。
それがわたしなんだからそれでいいって
降参できた時、初めて、

1本数百円のとうもろこしに
しあわせを感じられること自体がしあわせで、
わたしはすでにしあわせだったんだって
しあわせの意味が変わったことに気づいたんです。


こういう目に見えない感覚の変化を
言葉にするのはむずかしくて
うまく伝えられていないかもしれないけれど、
ある時、ふっと迷宮から脱出できたのは
そのままの自分を認めることができたから
ということだけは、はっきり言える。


何度も聞いていたのに、
わたしの心に響かなくて
ずっとスルーしてたことが
ここに来てストンと腹落ちしました。

時差がハンパないけれど、
これがわたしのベストなタイミング。
















































世界は逆さまに見えていた

目の前にある現実の世界の内側と外側が逆さまに見えているんだとしたら、今、目の前にある現実の世界の内側と外側を入れ替えた本当の世界、見てみたくないですか。世界の仕組みとそれを知って自分の理想の世界を創造するためにわたしが学んできたことの忘備録。

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