このままのわたしで価値がある


アタマではわかってる。
耳にタコができるくらい聞いてきたから。

それでもまだ、
わたしの存在自体が価値なんだと
認めるしかない事実を示されてもまだ、
躊躇する自分がいる。


わたしはどこまで自分に厳しいんだろう。
どうしてもっと優しくできないんだろう。
センスなさすぎて引く(笑)


こんな時、
かならず娘が教えてくれる。

いかに、わたしのことが好きか。
わたしを大切に想っているか。
このままのわたしでいいかを。

コンコンと諭してくれるとか
手紙を書いてくれるとか
そんなんじゃ全然なくて

何気ない日常の中の
わたしとのやりとりや言動で
本人は何も気づいてないだろうけれど、
「このままのわたしで価値があるんだ」って
思わせてくれることがたくさんある。


出かける前にわたしがサラサラっと書いた
走り書きのメモをぜんぶ大事に取ってあったり


Netflixで韓流ドラマに夢中になってると、
アイスクリーム持ってきてくれたり
寝落ちしてるとブランケットかけてくれたり


凹むことがあった日には
セクシーダンスで執拗に絡んでくる。
ブラジャーとパンティーと眼鏡だけで。


ほんとに些細なことなんだけれど
こういうことの連続が、
わたしを軸に戻してくれる。支えてくれる。

そうやっていつも笑って
そばにいてくれる娘を見ていると
自分が娘と同じぐらいの頃を思い出した。


昭和と令和じゃ時代もちがうし
生活レベルも環境も境遇も
今とはまったくちがうけれど、

わたしは母をどう想っていただろう。

母子家庭で女手ひとつで
わたしたちを育ててくれた母のことを
どう想っていただろう。


わたしの境遇と
強く関わっている「お金」。

わたしがいちばん強固に
価値と結びつけていた「お金」。

これがないとしあわせにはなれないと
大きな勘違いをしていた「お金」。


これを握りしめているということは、
母子家庭で一生懸命働いていた頃の母には
価値がないということになるし、
うちの家はしあわせじゃなかったことになる。

大人になってお金を持っても
すべてを解決できることはなかったし、
夢のような毎日が続いたわけでもなかった。

母子家庭でカツカツで育った過去と、
旦那の年収2000万以上の専業主婦、
どっちも経験したから断言できる。


そう気づいた瞬間、
すべての勘違いがするする解けて
握りしめていた手をほどくことができた。

価値ある母から生まれてきたわたしは
このままで価値があるに決まってるし、
価値あるわたしから生まれた娘は
価値の塊に決まってる。


この先、
わたしの価値は何があっても揺らがない。

世界は逆さまに見えていた

目の前にある現実の世界の内側と外側が逆さまに見えているんだとしたら、今、目の前にある現実の世界の内側と外側を入れ替えた本当の世界、見てみたくないですか。世界の仕組みとそれを知って自分の理想の世界を創造するためにわたしが学んできたことの忘備録。

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