対極にあるもの

あっというまに
5月もおわって
6月ももうすぐ半ば。


4月からスタートした
藤本さきこさんの継続講座は
わたしの想像をはるかに上回るもので、
毎月のスペシャルセミナーは
受講するたびに
自分の中が広がっていくような
解けるような 緩むような
不思議な感覚に包まれます。

そして
その月にさきこさんが
出してくれる課題に取り組んでいると
知らないあいだに
新しい自分になっていることに、
振り返って気づく。

これが
すごく新鮮な感覚で、
あのタイミングで
あの気づきがあったからとか
そういうんじゃなくて
寝ているあいだに
インストールして
起きたらバージョンアップしている
スマホみたいな感覚。


こうして文字にした途端、
薄っぺらくなるのが
とても残念なんだけど、
目に見える物質の話しじゃないから
これはもう仕方ない。

毎日腹筋50回
フルスクワット50回
腕立て30回
プランク2分間とかだと
伝えやすいんだけれど(笑)



講座の内容を咀嚼するのと
自分の本音を知るのに
いっぱいいっぱいで
ブログが追いつかなかったんだけど
言葉にできる順に
少しずつ書ければいいかなと思ってます。

4月のはじめての
さきこさんとのやりとりの中で
さきこさんがわたしにサラっと言った
「優しくしありたいってことですよね」の一言が
ボディーブローのように
あとからじわじわ効いてきた。

いじわるが素材だというコトと、
いじわるのままでいいというコトが、
あまりにも衝撃的すぎて
その場では聞き流していたんだけど
アーカイブで振り返っていると
さきこさんのその言葉が
わたしの中で少しずつ
大きくなってきたんです。

指先に刺さった棘みたいに。


わたしは子どもの頃から
「いじわる」とか「気が強い」ことで
褒められたことが一度もなかったから、
「いじわる」や「気が強い」ことは
よくないことだという設定を持っていて、
その対極にある「優しさ」は
わたしには足りないものだと思っていた。

あーそうか。だからなのか。
だから足そうとしてたのか。

「いじわる」や「気が強い」ことを
ダメなことだと思っていたから、
それを隠すために必要以上に
優しくあろうとしていたのかもしれない。

つねに完璧を目指して
完璧であらねばならないとして
完璧であるために素材を殺す。
完璧であるために
無理して対極のもので
素材を隠そうとする。必要以上に。

だって
しあわせになるためには
完璧じゃないといけないから。

なんて
的外れで
ハードな人生なんだ。


パッと見、
気が強そうでわがままそうで、
言いたいことなんでも言って
自由気ままに好き勝手に生きているけれど
わたしの何倍も優しいうちの長女が、

「ちょっと優しすぎるで」
「なんでそんなに優しくするん?」
「そんなに優しくせんでいいのに」 
「よくそんなに優しくできるな」
「どんだけ優しいんよ」って
いつもわたしに言ってたのは、

「いじわる」や「気が強い」という素材を
否定しなくていいのに。許していいのに。って
言ってくれてたのかもしれない。


注)
 「いじわる」「気が強い」って連呼してるけど
たいして「いじわる」でもないし
そこまで「気が強い」わけでもないですよ☺︎





























世界は逆さまに見えていた

目の前にある現実の世界の内側と外側が逆さまに見えているんだとしたら、今、目の前にある現実の世界の内側と外側を入れ替えた本当の世界、見てみたくないですか。世界の仕組みとそれを知って自分の理想の世界を創造するためにわたしが学んできたことの忘備録。

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