どうだったら しあわせ?

好きなものが食べられる。
ほしいものをなんでも買える。
行きたいところに行ける。
したいことができる。

そうだったら
しあわせなのにって
ずっと思ってたけれど

振り返ってみると、
これまでだって
好きなもの食べてるし
ほしいもの買ってるし
行きたいとこ行ってるし
したいことしてる。


スーパーマーケットで
カゴの中に入れるものは
どれも好きなものだし、ほしいもの。

きらいなものなんて買わないし
ほしくないものも買わない。よね。

これ、きらいだわー。
こんなのほしくないわー。って
思いながらお金払って買う人、いないはず。
いないでいてほしい(笑)


本屋さんにもカフェにも
公園にも映画館にも、行きたいから行く。

なんなら
スーパーマーケットにも
仕事にも病院にも、行きたいから行ってる。


屁理屈とか
こじつけとかじゃなくて。

行きたくないと思ってるかもしれないけれど、行かないことと行くことを天秤にかけたら行くことのほうに少しでもメリットがあるから行ってる。わたしもそう。ほとんどがそう。わざわざメリットがないほうを選ぶなんてしない。少なくとも「よりよく生きたい!」「しあわせになりたい!」って思ってる人はかならずメリットがあるほうを選んでる。それが行きたくて行ってるということ。したくてしてるということ。そこを自覚すればあとはかんたん。と、一気にまくしたててみた(笑)


いつも 好きなもの食べてるし、
ほしいもの 買ってるし、
行きたいとこ 行ってるし、
したいことしてる。


なのにそれを
しあわせと呼べないのは
なんでなんだろう?

どうだったら
しあわせだと思うんだろう?

なぜ、今のままだとダメなんだろう?


スーパーマーケットに並んでる
バナナじゃなくて、
デパ地下に並んでる化粧箱入りの
マスカットを買えばしあわせ?


本屋さんで好きな本買って
ゆっくり読むんじゃなくて、
ファーストクラスで
パリに行けばしあわせ?
 

ほしくて買ったものが
今、まわりにたくさんあるだけじゃなくて、
この世のものぜんぶを手に入れるための
お金があればしあわせ?


どうして
しあわせを遠くに置く?
どうして
しあわせを高くに置く?

遠い遠い 高い高い
手の届かないところに
しあわせを置くのが
心がゆるんでほっと安心できるならいいけれど、
そうじゃないなら 一旦、そばに置こ。

一旦、そばに置いて その上で
あんなのしてみたいなー 
こんなのもしてみたいなーって
願えばいいだけ。


わたしの毎日の暮らしは、
しあわせの連続でできている。
そういうことにしていいって
もう、わたしを許そう。






世界は逆さまに見えていた

目の前にある現実の世界の内側と外側が逆さまに見えているんだとしたら、今、目の前にある現実の世界の内側と外側を入れ替えた本当の世界、見てみたくないですか。世界の仕組みとそれを知って自分の理想の世界を創造するためにわたしが学んできたことの忘備録。

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